SEARCH会議室を探す

  • レイアウトを選択

  • 人数を選択

  • 面積を選択

CASE STUDY新着情報
  1. 貸し会議室ならミーティングスペースAP
  2. 東京・横浜の貸し会議室一覧
  3. AP日本橋(中央区)
  4. 新着情報
  5. 【AP日本橋お役立ち情報局】昔、JR大阪駅にあったあの「噴水小僧」~語り継がれる懐かしの象徴と新しい時代の幕開け~イノゲート大阪-THE FOUNTAIN BOYの終わりと始まりの世界~【祝・APイノゲート大阪】

【AP日本橋お役立ち情報局】昔、JR大阪駅にあったあの「噴水小僧」~語り継がれる懐かしの象徴と新しい時代の幕開け~イノゲート大阪-THE FOUNTAIN BOYの終わりと始まりの世界~【祝・APイノゲート大阪】

2024年9月30日

こんにちは。AP日本橋お役立ち情報局編集部の前田でございます。少しは涼しくなりましたね。私も朝晩と1日10~15キロは歩いているのですが、ものすごくウォーキングがしやすい季節となりまして快適です。暑い中、歩くのも好きではあるのですが、やはり風を受けたい今日この頃でございます。さて、2024年10月からAPの新施設もオープンする今話題のビル/イノゲート大阪の1階に設置されている荒木飛呂彦先生作のパブリックアート「噴水小僧(THE FOUNTAIN BOY)」ですが、旧噴水小僧とは関係ありません。こちらはまったく新しい作品になります。では、さて、ということは、前にあった噴水小僧はどこにいったのか?非常に気になったので調べてみたくなりまして、ざっくりですが調べてみました。ということで今回は昔の大阪駅を知っている人には少し懐かしい話題、そう、かつてJR大阪駅に存在した「噴水小僧」についてお話しさせていただきます。


  • 噴水小僧とは?
  • 1-1. 「噴水小僧」の歴史


    皆さんは、駅の風景として長年親しまれたこの像をご存知でしょうか?

    「噴水小僧」は1950年代に大阪駅の中央改札付近に設置されまして、当時、戦後復興期にあった日本では、都市部の主要駅をただの交通インフラとしてだけでなく、生活の一部として発展させようとする動きが見られました。その中で、駅を利用する人々に「心の安らぎ」を提供するための象徴として設置されたのが、この小さな銅像だったのです。さらに面白い雑学として、実はこの「噴水小僧」、ヨーロッパの影響を受けていたとのことです。例えば、ベルギーのブリュッセルには「小便小僧」という、こちらも非常に有名な像があり、日本の噴水小僧のデザインにも少なからず影響を与えたのではないかと言われています。どちらも可愛らしくユーモラスな姿が共通していますが、大阪の噴水小僧は全身から水を噴き出すという独自のアレンジが加えられていました。オリジナル性が大事です。


     

    1-2. 設置された背景と意義


    大阪駅に噴水小僧が設置された背景には、戦後の日本が復興を進める中で、人々の日常に癒しや娯楽を提供しようという考えがありました。当時はまだ人々の生活に、ほんまに余裕がなく、公共の場における小さな楽しみが重要視されていたのです。噴水小僧はそんな背景から、駅を行き交う人々に笑顔を届けるための存在として設置されたようです。 実際に、噴水小僧のような公共施設内の装飾は、昭和中期の都市開発の中でよく見られた光景ですよね。人々が触れやすい場所にアートや遊び心を取り入れることで、社会全体に活力を与える効果があったと言われています。確かに今思い出せば、けっこうありました。

    1. 噴水小僧が愛された理由

    2-1. 季節ごとの衣替えとその魅力


    「噴水小僧」が長く愛され続けた理由の一つは、その季節ごとの衣替えにあったといわれています。実は、こうした公共の像に衣装を着せ替えるという風習も、欧米から取り入れられたと言われておりますね。日本では名古屋の「ナナちゃん人形」などでも衣装替えが行われていますが、この文化は市民に愛される公共物にさらに親しみを感じてもらうための工夫だったのですね。噴水小僧も、四季折々の姿に変わり続け、通勤や通学で駅を訪れる人々に小さな驚きと楽しさを提供しました。夏には浴衣を、クリスマスにはサンタクロースのコスチュームを着て、いつも新しい姿で駅の風景を彩っていたのです。こうした衣替えが単なる装飾にとどまらず、駅利用者にとっての「季節を感じる指標」としても機能していたことが、彼を特別な存在にしたのだと思います。

     

    2-2. 市民に親しまれた象徴としての存在感


    噴水小僧は単なる駅のオブジェではなく、日常の中にあって市民にとって欠かせない「癒し」の象徴でもありました。ここで一つ興味深い雑学をお伝えしますね。大阪は古くから「天下の台所」として日本経済の中心地として発展してきた街ですが、その反面、市民が「親しみやすさ」や「笑い」を大切にする文化が、めちゃくちゃ根付いています。噴水小僧のユーモラスな姿や、その季節ごとの衣替えは、大阪の人々の「親しみやすさ」を象徴するものだったとも言えます。市民の間で「噴水小僧」が単なる装飾以上の存在となり、長く愛されてきたのは、こうした文化的背景にも理由があるのです。


    1. 撤去の背景

    3-1. 大阪駅再開発の波と変化


    1990年代に入り、大阪駅は大規模な再開発に着手しました。ここで一つ、都市開発のトリビアをお話ししましょう。実は、日本の主要なターミナル駅の再開発は、バブル経済の崩壊後、経済を活性化させるために全国的に進められたもので、大阪駅もその一環として新しい都市の象徴となるべくリニューアルが進められました。この際、駅構内のデザインが大幅に変更され、「モダンさ」や「機能性」が重視されるようになりました。

    噴水小僧もこの変化に伴い、デザイン的に古かったのでしょうか、駅構内の構想から外れてばったりと姿を消すことになりましたが、こうした背景には時代の流れと、駅の新しい役割が大きく影響していたようです。私は現状維持派ではないのですが、個人的にはあの古い感じも好きですね。なんでもかんでも新しいデザインしてしまう流れは、少しですが疑問がありますし、古いものを再利用するのもサスティナブルな活動なのではないでしょうか。


    3-2. 市民の反応と惜しまれた別れ


    「噴水小僧が消える」というニュースに対して、多くの市民が驚きと寂しさを感じました。特に、大阪駅のリニューアルによって古い施設が次々と姿を消していく中で、噴水小僧の存在は「古き良き時代の象徴」として惜しまれたのです。もったいないという考えもあったと思います。このような感情は、日本全国の主要駅が同じく再開発される中でも見られる現象で、例えば東京駅の「赤レンガ駅舎」や京都駅の「古い駅ビル」が取り壊される際にも、同様の市民の反応が見られました。



    1. 噴水小僧が残したもの
    2. 4-1. 今なお語り継がれる記憶とその意義


      噴水小僧は今では大阪駅から姿を消しましたが、その記憶は今なお語り継がれています。実際、駅や都市開発における「記憶を残す」という文化は、日本だけでなく世界中で大切にされています。例えば、ニューヨークの「セントラルパーク」やパリの「エッフェル塔」など、公共の場所に設置されたオブジェクトやランドマークが、時代を超えて市民の心に残り続けているように、噴水小僧もまたその一つなのです。

      しかし、冒頭に紹介させていただいたように荒木飛呂彦先生の新噴水小僧ことステンドグラス作品パブリックアート「THE FOUNTAIN BOY」が設置されています。ジョジョの奇妙な冒険のパワーが強い順(この場所をパワースポットとするため)に並べた7つのスタンドが描かれています。いや、強い順なら、キング・クリムゾン、ワンダー・オブ・Uが入ってないのでは?とか言わないようにしましょう。パワーに特化してるのでほんとに強い順でないところがミソかと思います。

      APイノゲート大阪をご利用の際は、ぜひ見ていってもらえれば幸いです。そして、変わりゆく大阪の風景を見届けて前向きに未来へ進んでいきましょう。

       

    CONTACTお問い合わせ

    電話
    03-3273-3109
    FAX
    03-3273-4109

    受付時間 9:30~18:00(日・祝日は休業の場合もございます。)